2016年10月7日金曜日

大怪我をしました

大怪我をしました。このブログのテーマと関係はありませんが、特に自分のために記録に残しておきます。

怪我した経緯

6/1 19時ごろ、よそ見して歩いていたらバランスを崩してガラス板に突っ込み、結果、いろいろなところを切りました。怪我した場所は、

  • 右目の上(出血がひどかった)
  • 右腕の二の腕
  • 右足膝下
  • その他かすり傷いくつか
でした。右足以外は縫って終わりで、それほど大きな問題ではないので、以下省略します。

1回目の手術

右足はコンパートメント症候群になったため、全身麻酔で手術をしました。手術後2日は集中治療室にいました。出血がひどく、何度か輸血しました。ちゃんと確かめたわけではありませんが、1リットルぐらい出血したらしいです。このころは痛みがひどく、痛み止めをいっぱい使いました。このころは、右足が3倍ぐらいにはれ上がっていました。

一般病棟へ

6/3に一般病棟に移りました。右足は、切開した部分を閉じていないため、出血が続いていました。そのため、包帯の上から、紙おむつを巻いていました。紙おむつはベットの上で水を使うとき(例えば頭を洗う)によく使いました。紙おむつすごい。このころまでは、ほとんど体を動かすことが出来ませんでした。

リハビリで倒れる

6/6からリハビリで、棒につかまりながら歩きました。痛みのため、右足はほとんど使えなかったです。しかし、血圧が下がりすぎ意識を失い倒れてしまいました。次の日も倒れてしまいました。6/8にはなぜ意識を失うのか色々調査しました。調査の最中にも意識を失いました。調査の結果、特に大きな問題があるわけではなかったそうです。当時は平常時の血圧が通常より40ぐらい低かったのでそりゃ倒れるよね。その後のリハビリは、寝た状態でやるものになりました。このとき以降は、右足以外は正常だったので車いすで移動していました。しばらくは看護師さんの付き添い付き、1週間ぐらいすると、一人で移動する許可が出ました。

だんだんひまになる

怪我した直後は生きているだけでせいいっぱいでしたが、状態が落ち着いてくると、だんだんひまになっていきます。ひまつぶしに利用したものはこれらです。

  • ラジオ
    • 普段からラジオをよく聞くのでかなり早い段階で準備してもらいました。病院はたぶん鉄筋コンクリートのため、AMはまともに受信できません。FMは普通に入りました。ワイドFMのおかげでラジオ局の選択肢も広くなりました。消灯後も使用できますし大変重宝しました。Eスポで中国?の放送局も聞けました。
  • 新聞・雑誌
    • リハビリを兼ねて病院の売店によく買いに行きました。ただ、費用対効果は微妙です。
  • 猫の写真
    • 妹が持ってきてくれました。妹マジ有能。
  • 携帯ゲーム機
    • 点滴が外れて腕が自由になったときに持ってきてもらいました。病院内で自由に充電できなかったため、その点は不便でした。
病院でのひまつぶしの定番はテレビですが、ほとんど使いませんでした。ノートパソコンを持ち込むことも検討しましたが、ネットにつなげないことで断念しました。

謎の吐き気

6/11,12ごろに強い吐き気を感じました。念のため、頭部のCT、検便等の検査を行いました。結果異常はなかったとのことです。その後吐き気を感じることはなかったため様子見となりました。このころになると、傷口が痛むことはほとんどなく、足首が物理的に曲がらない、足首から先がしびれる、もしくは、感覚がない状態でした。腫れはだんだん引いてきて通常の2倍ぐらいになりました。リハビリでは何かにつかまって歩くことを始めました。

2回目の手術

右足の腫れがある程度引いてきたため、6/21に傷口を閉じる手術を全身麻酔で行いました。あわせて、切れた神経をつなげる手術を行いました。このときは集中治療室に入ることはありませんでした。手術直後は1回目と同じぐらいつらかったですが、復活するスピードは1回目より早かったです。

歩く

6/25に何にも捕まらずに歩く許可が出ました。普通、車いす使用の状態から何も使わずに歩く状態になるのはあまりないようで、何人かの看護師に驚かれました。このころには足首が90度には曲がるようになりました。

リハビリが覚えられない

このころになると、自宅で行うリハビリの内容を教えてもらったのですが、これが全然覚えられない。メモ帳にやりかたを書いたけど知らないうちに自己流に代わっているかもしれないが、確かめるすべがない。

退院

6/30に退院しました。病院と勝手が違うため、自宅でもなれるのに数日かかりました。

オチ、ほんとに恐ろしかったこと

ほんとに恐ろしかったことは、怪我直後のつらさ、手術直後のつらさと、4月まで働いていた会社でのつらさがあまり変わらなかったことです。ほんとにいやだったんだなと改めて思いました。